取捨選択と棚卸し
いつもはこの手の話はスピ系でまとめてあるほうのブログに書きますが、今回は、思うところあってこちらで。
11月末日をもって、私のエンジェルリーディングの師匠であるiriseさんが引退すると発表されました。
彼女とは2010年にTwitterで出会い(時々驚かれますが、私の今の友人の大半はネットを通じて得た友人であり、長い人で20年以上になりますし、夫もその一人です)、翌年にセッションとレッスンを受けて今に至ります。
ノルウェー語を始めたのが2011年の2月。彼女のセッションそして、レッスンをうけたのが確か6月頃だったように記憶をしています。
セッションを何月に受けたかは忘れてしまいましたが、この時のことはかなり鮮明に記憶に残っています。
「ともこさん、何か新しい事を始めて今らっしゃいますよね(当時、ノルウエー語をはじめたことはツイートしてなかった)。
天使は、『今、そっち(当時苦しかったこと)よりも、ユー、こっちの道を歩んじゃないなよと言っています。覚えはありますか?」
「え、ノルウェー語でしょうか…」(まだ教科書をゆっくりやってるくらい)
「あー、うん、そうみたいですね!こっちに進めばいいのにって思ってるみたいです」
その後、本当にノルウェー語に関してはミラクルが起きまくって、「あ、この言い回しがわからない」と思えば、facebookのタイムラインにその言い回しを使ったノルウェー語の記事が掲載される。「あー、これってノルウェー語でなんていうんだっけ?」と思えば、Twitterのタイムラインにあるノルウェーの新聞の呟きにその単語が使われている。中止になるはずだったノルウェー語のGW入門が急遽開催されて、そこの先生がmy-sensei.comに登録されていて、その後、2年ちょっとレッスンを頼めることになったり、その先生が就職していよいよ次の先生が…と困れば、SNSで知り合ったノルウェー人がワーホリで日本に来るという話で、先生をやってもらえ、その先生が帰ったら、入れ替わりにきたノルウェー人から(先生探してるサイト経由で)「まだノルウェー語勉強してる?」という問い合わせが来て、今度、その先生が都合がつかなくなってきたところで、最初のノルウェー語の先生がまたレッスンしてくれることになり今に至るというすさまじい展開。
先生運だけでなく、他のことでも次から次へと色々起きていて、それをここで書くと終わらないので割愛しますが、兎に角、イリゼさんのレッスンでやった「ビジュアライゼイション」でビジュアル化した、「Håvard Remさんとホテルのロビーで詩について話す」も実現しましたし、この時は「モートンも一緒に」とイメージしようとして失敗したのですが、モートンはその場にはいませんでしたが、「日本人の女性が、モートンのノルウェー語のソロを訳しているんだ」というのは本人に伝わっているのですから、びっくりです。
その後も、なんども、リーディングを受けるきっかけになった「辛い事」と「ノルウェー語」のことについてリーディングを受け、その度にノルウェー語をサポートする天使が増大しているようで、なんとも心強かったのです。だから、彼女と出会えたからこそ、ノルウェー語を自信をもって続けることが出来たとも言えます。辛い事も…、徐々に小さくなっていることを確信させてもらえましたしね。
先日、私は、「ヒーリングサロン ひまわり」で、シータヒーリング基礎DNAを習ってきたばかりですが、この彼女もまた、iriseさんつながりで知り合えた方です。
本当にありがたいご縁です。
さて、その先日のシータヒーリングのレッスンで「私は、私らしい人生が何か知っている」ということについて、潜在意識では「No」だということがわかりました。まあ、これは「君、人生の目的とかないでしょ」というわけではなく、「他の誰かに遠慮してできてないこと、やっちゃえばいいのに」という意味だと、私は解釈しましたが、このiriseさんの引退についてのコメントを読んでふと、「ああ、人生は取捨選択なんだな」と思わされました。
あたり前といえばあたり前だけど、私は割と「やりたいことも、やらなくてはいけないことも、全部どうにかしてやる」という力業で生きてきたところがあるので、欲張りなんだけど、故に一つに絞れないのは確か。
考えてみれば、シータヒーリングも、自分の考え方や思い込みを掘り下げて「取捨選択」するものだし、私もそろそろ力業でどうにかするのではなくて、同じ力をかけるなら今やっていることの延長線上の目標をもっとクリアにして、そこに向かう方向にいっきに力をかけていくことを選んで良い時期なのかも。
勿論、やりたいこと・実現化したいことは、全部手に入れる前提で。
ちょっと棚卸ししてみようと思います。
