日常/心

自分のブロックとプロ意識

ここ最近、ずっと考えてることの一つに「プロ意識」があります。
そしたら、昨日、イリゼさんのブログでタイムリーに、そこに関わる話が出ていました。
「技術がスランプを乗り越える強さになる」

そこで、私に響いたのがここ。

そして技術って、プロフェッショナルになりたい分野にとにかく時間をかけて取り組み、試行錯誤し、練習し、数をこなしていくことでしか積み重ねることは出来ない。
確かに愛やハートは大事で、それが全てと言ってもいい側面はあります。
でもそこに重きをおきすぎるアマチュアにはなりたくないですよね!?

イリゼさんのコメントにも書いたのですが、アマチュアで最も有名なのは「オリンピック」ですよね。特にフィギュアスケートは、「引退してプロスケーターになります」みたいなことを割と言います。でも、高橋大輔選手のことや浅田真央選手のことを誰も「素人」だとは思わないと思います。
イリゼさんの言葉を借りるなら「とにかく時間をかけて取り組み、試行錯誤し、練習し…」の代表的な人たちですし、「お金を貰ってるかどうか」が基準だと、更に解らなくなります。

そこで、冒頭の悩みにまたぶつかるわけです。「何をもって、プロなのだろう」と。
私は最近、それは、「自分の成果の価値を、裏打ちされた経験や技に基づき、堂々と宣言できる人」ではないかと思い始めました。

子供の頃、よく、新聞に挟まっている広告でお店屋さんごっこをしました。
電気屋さんの広告とかだとあまり面白くないのですが、二駅くらい先にあった宝石屋さんが、たまに広告をだしていました。
それがとっても綺麗なんです、ルビーとかダイヤとか。それを切り取って値段をつけて妹とお店屋さんごっこをするわけですが、私は値段を決めるのが非常に苦手でした。「高すぎ?」とか思ってしまうわけです。そんなの(遊びなんだから)悩まなくていいのに。

また、私の実家は自営業なのですが、中学二年で「将来、コンピュータを使って管理するシステムを作る人になろう(当時、システムエンジニアと言う言葉を知りませんでした)」と決めたときも、就職活動をしていたときも、「いざとなったら実家を継げば良い」とは少しも思わなかったのです。
なぜか。それは、怖いから。

自分で値段をつければ、それ相応の責任があります。最終的には、「自分はこの件について、これだけ(もうけ分)の価値が絶対あるんだ!」という宣言だからです。
自分の会社を興したり、継いだりすれば、その宣言・決断は、従業員にも影響します。

会社員も勿論、責任はありますし、自分はその仕事のプロだ、という言い方も出来ると思います。でも、「自分はこれだけの価値があるんだ」という宣言をしなくても、上司からの評価という形で、自分で値段をつけるという、私が最も苦手とする分野とは向き合わなくて済むわけです。

考えてみれば、二次創作サイトはやっても同人誌は作らなかったのは、そのブロック故でしょう。間違いなく。

じゃあ、技術を磨いていないのかというと、実のところ、私はかなり勉強家だと思います。プログラミングをやってたときは、しょっちゅうプログラム本を買いに本屋へ通っていましたし、最初の育児休業のときも、家でプログラムの練習をしていました。(開発には復帰できなかったけど)

アロマスクールに通っていたときは、家に帰ってから再度教科書を読み込んでいましたし、今は毎日ノルウェー語の勉強をやっているわけです。
二次創作をやっていたときは、平安時代のいろんな資料を集めて、毎日和歌集を読みまくりました。
仕事に関することについても、「いかにして、自分の仕事相手に良いものを返していけるか」を念頭に試行錯誤しています。

でもね、いくら勉強してそれ相応の結果を出していても、自分が「私の価値はこうです。これくらいの成果を出しているから当然です」って言えるようにならないと、たとえ上司から評価される側であっても、「プロとはいえない」のではないかと、思い始めました。
就職して、21年になって今更かと言われそうですが。

宣言せずにただ、ひたすら技術を磨く・勉強をして、自分の価値を宣言しないことは、役者志望でレッスンに通いながらもオーディションを受けないようなもの。
自分で価値を宣言する。宣言した以上、更に努力が必要になる。結果、更に価値があがる、というのが本当の「プロ意識」ではないかと。

そんなことを、イリゼさんのブログをきっかけに答えに至ることができました。
ありがとうございます、イリゼさん。
そんなわけで、今年度は「自分の価値を自分で決める」をテーマに取り組もうと思います。

Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。 二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。 現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。

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