語学で会話が出来ない本当の理由
どっかの英会話教材の風に書いてみる(笑)
ノルウェー語を学んでいて気がついた、「外国語で会話が出来ない本当の理由」。
日本人の殆どが学ぶ英語。しかし、会話が出来るかと聞かれると「YES」と答えられる人は多くありません。
文法教育の弊害?
先生が日本人だったから?
いいえ、そうではありません!
日本人が英語を話せないと思ってしまう理由、それは…
一つは、「完璧に話せないと恥ずかしい」「間違えたら誰かから笑われるかも」という謎の自尊心にあります。
「突出した才能」を嫌う私たちは、突出してる人が中途半端だと間違い探しをする癖がついています。
故に、自分を守るために、自然と「完璧に話す」ことを課してしまうのです。
しかし、よく考えて下さい。完璧に話すことがどれだけ大事でしょうか。
文法的に正しいことは勿論大切ですが、一番大事なことは、「伝えたいこと」のはずです。
そして、この「伝えたい」ということを忘れていることこそ、私たちが英語が出来ない最大のそして根底の理由なのです。
書きながら読んでいて疲れました(笑)
このタイプの文面って、色々な商材でよく見かけますけど、本当にこれで購入意欲を煽れるのかなあ。
私は読んでいて疲れてしまうんですが。
それは兎も角、「伝えたいことを忘れてるから出来ない」というのは、私がノルウェー語を勉強していて実感した、「会話ができない理由」なのは間違いありません。
簡単に言うと、「日本語で話せないことは、外国語で話せるわけがない」「ネタがなければ話せるわけがない」ということです。
私の夫と息子はガンダム好きですが、私は彼らが話してる内容(どの機体がどうだとか)はさっぱりわかりません。
だから、ガンダムについて何か言えといわれても、よく知られてる台詞(ぼうやだからさとか)しか返せません。
日本語で言えないのだから当然、ノルウェー語で表現できるはずがありません。
代わりに宝塚のことなら、まあまあ話せます。スターシステムとか、脚本家だと誰が当たりが多いと自分は思っているかとか。
実際に宝塚についてノルウェー語で説明したことはあったりします。
好きなものでも語れないこともあります。
私がモートンのソロや、Rem氏の詩を読んだときになる状況ですが、「感動して言葉が出ない」ときは、当然日本語すら出てこないので、ノルウェー語で話せといわれても、出てくるわけがありません。
でも、何度もアルバムを聴いたりしてるうちに、「ここが感動したって伝えたい!」と思うと、その瞬間に日本語でも、ノルウェー語でも言葉が溢れてきます。
それは「伝えたいから」です。文法はここで生きてきます。
文法は話すときのルールだから、単語ならべるだけより、ずっと伝えやすくなりますよね。
プログラムだと、文法間違ってるとコンピュータは理解してくれませんが、幸い、人間同士の場合、若干間違っていても通じることは通じます。
でも、文法があっていたほうが気持ちよく通じます。
ここで間違ってはいけないのは、「文法が違っていたら恥ずかしい」と思うことです。
だって、語学習ってるということは出来ないから習っているわけで、間違えたところで、当たり前です。
そもそも、最初から完璧な文法で話せるなら習う必要ないんですから。
発音がうまくできなくて通じない、文法が間違ってたから通じない…
の次にあるものは、
この間より発音がよくなったから通じた
文法があっててあから通じた
なので、何の問題もありません。
だから、会話したいと思ったら、まずは自分の伝えたいことを学んでいる外国語にしてみたらいいんです。
自分でも面白くない内容は、やっていてつまらないですから、自分が好きなこと、いくらでも語れることを外国語にしたら、わからない単語を調べるのも、言い回しを考えるのもすごく楽しくて、たとえ一行に30分かかったとしても一時間かかったとしても、その結果、若干間違っていたとしても、文章を作れたということは自信になりますし、好きなことだけに覚えもよくなるので、次に同じ話をしようとしたときは、きっともっとスラスラ話せるようになること請け合いです。
Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。
二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。
現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。