日常/心

情報は受け取り側が作る

昨年一年、ニュースをみていてつくづく実感したことがある。
それは、「情報は受け取り側が作ると意識しなくてはいけない」ということだ。

昨年は本当に芸能ニュースが多くて、その結果、テレビや雑誌は、如何に自分たちの情報が恣意的で悪意に満ちているか、適当かということを自ら暴露してしまった気がする。

その際たるものが藤原紀香関連のニュースと、SMAP関連のニュースだろう。
先日の芸能ニュースでは、アンケートの結果、紀香は活動を梨園に絞るべきと考える割合が男性より女性に多く、およそ4割というのがあった。
記事は如何に女性に支持されていないかと言いたいようだったが、この手のアンケートは大概、求める答えのための設問が設置される。
即ち、質問側の求める答えを意図した内容になりがちだ。そこで3割強の女性がそう答えたそうだ。ということは、4割とした時点で四捨五入で増やされ、更に「どちらでもよい」「両立すればいい」の6割は無視される。これが仮に、紀香が好感度が高い設定の女優だったら、6割から支持と書かれるだろう。所詮、そんなものだ。

これをみて、「嫌われてるんだから悪い人なんでしょ」と思う人は残念ながら存在する。本人にいえば否定するだろうが、大概、悪気なく「でも、言われるからには何かひどい人はなんでしょ」というタイプだ。たとえそれが火のないところに放火系のデマだったとしても。

SMAPにしてもそうだ。キムタクが裏切ったという情報を信じている人からはキムタクが悪く見えるし、草彅・香取のワガママだと受け取る人もいたりする。
どの情報もどこまで本当かわからないのに。
少なくとも、稲垣吾郎のラジオを聞いて、中居のラジオを聞いてみて、私の印象は「解散させられた」かな。続けたくても続けられなかったように聞こえた。
稲垣吾郎のラジオを聞いていると、本当に言葉選びが上手だなと思う。どこをどう切り取られても悪く引用しにくい。だからこそ、木村「くん」をたまたま木村「さん」としただけで、不仲というような、ありえなニュースしか作れないのだろう。私はリアルタイムで聞いていたが、あの内容ならあえて「さん」にする表現もありだと思った。
それと、最近流行りの放映される前のネタバレも、恣意的だと思う。
現場がピリピリしていたと書けば、最初からそういう目でみてしまい、何もかもそう見えるだろう。誰々が嫌な顔をしたと書かれれば、言われてみればとなる。
思い込みの利用による、ある種の洗脳だ。言葉は悪いけど。

人は基本、受け取りたいようにしか情報は受け取らない。
でもだからこそ、情報の精度は自分が作るのだと意識した方がよいと改めて感じた。
誰かの意図した情報を鵜呑みにして評価して誰かを嫌いになったりするのは、その意図した情報を流した人に、人生を乗っ取られているようなものだ。
最近のネットニュースでいえば、だいたい悪意のある記事は同じ筆者のものだ。
Aという記事で悪意のある記事を書いている人は、Bという記事でも悪意がダダ漏れしている。いわゆるいじめっ子気質なのだと思う。
イジメで自殺した子どものニュースに涙するのなら、マスコミを使った「いじめ文化」からまず、遠ざかるほうがいい。テレビ番組や雑誌から四六時中、誰かを吊るし上げている情報が氾濫する世界で、イジメが消えるわけがない。子どもは大人や社会をみて成長するのであって、親だけをみて成長するわけではないのだから。

Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。 二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。 現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。

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