日常/心

何を表現したいか

3月くらいからでしょうか、自分が何を表現したいかについて、いろいろ考えています。
エンジェルリーディングの師匠であるイリゼさんのブログ記事「セラピスト、ヒーラーとしてどんなことを表現したい!?」にもfacebookでコメントしたわけですが、本気で何かをしたいなら、それで何を表現したいかを考えなくてはダメですよね。

サイト上のことでいうなら、モートンのサイトが目指しているものは実にシンプルです。
「みんなでモートンの情報できゃーきゃー言いたい」
です(笑)

ノルウェー語を学んでモートンの発言を知りたい、でも、それを自分ひとりでにやにや楽しむのではなくて、同じようにモートン好きな人と「いいよね~」って盛り上がりたい、ついでに、「モートンファンは顔だけみてる、モートンは何も考えてない」みたいなことを言う一部の人に、「そんなことないんだよ、すごく尊敬できる人なんだよ」と伝えたいというのがあります。

ただ、それは「何を表現したいか」ではなくて、「どういう目的か」ですよね。

ノルウェー語を学ぶ目的は、翻訳だったり、いつかモートンとノルウェー語でお話ししてみたいなーだったりするわけですが、ノルウェー語を使った自分の世界で表現したいものは何かってところを、考えなくてはいけないところに来ているのだと思います。

先週の木・金と、元宝塚の二人のコンサート(別々)をみて、改めてその思いが強くなりました。
凰稀かなめさんは、コンサートでいろんな自分を表現されていました。「可能性」を表現したわけですよね。
日向薫さんは、朗読ミュージカルというものを「天職」として表現しているように感じました。
歌唱力がものすごくあがっていらしたのですが、それは「歌の練習」を目的にしているわけではなく、朗読ミュージカルとかをやるなかで、練習し、「自然に」あがっていったわけですよね。

自分に翻って考えたときに、目的が「ノルウェー語の勉強」になってはいないだろうかと。そういうことを考えさせられました。
翻訳出版についても同様。出版はできるとして(信じていればきっと)、その先に自分は何をおいているのか。
とても素敵な詩だからいろいろな人に知ってほしいの先。ノルウェー語という素敵な言語と仲良くなりながら、何を表現していきたいのか。

たとえば、ノルウェーは福祉の先進国なわけで、当然、私がカテゴライズされるところの「ワーキングマザー」というものに対して素敵なモデルケースがいっぱいあるわけです。
それを紹介していくこともやろうと思えばできますし、(もともと興味のある)環境問題にフォーカスしていくこともできる。
もちろん、文学作品にフォーカスしていくことも。
考えれば考えるほど、様々な可能性がある中で、自分の表現したいものを、今はこれというように一時的であっても、決めてやっていくことが大事なのかなーと思っています。

進めていくことで、徐々に見えてくることもあるでしょうしね。

Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。 二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。 現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。

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