「うつろのまこと」6月3日18:00(出生之章・名残之章 ネタバレあり) 感想
KUROFUNEでファンになった戸谷さんが出るということで、「うつろのまこと」を見に行ってきました。
この公演、「出世景清」を中心とした「出世之章」、「曽根崎心中」を中心とした「名残之章」、「心中天網島」を中心としたの「生瓢之章」の3つの演目ーのうち、
「出世之章」と「名残之章」、「出世之章」と「生瓢之章」、3つ全ての3パターンの組み合わせ日程があり、私は戸谷さんの出る「名残之章」が見たかったので、その演目の含まれるB日程またはC日程(全部)の中から、初日のB日程を選びました。選んだ時は出世景清が全てのパターンに含まれていることに気づいてなかったので、元宝塚の大月さゆさんを見たいのもあって、「出世景清+名残之章」で選んだのですが。
全体的に「すごみのある」舞台でした。終わった後、言葉を失いました。
兎に角、義太夫と近松門左衛門のやりとりが迫力がありました。迫力がある、という言葉では足りないほど「圧」がありました。
私は前知識なく行ったのですが、公式にある「近松門左衛門と竹本義太夫の関係から」というさらっとした文言からは想像つかないほど、そこが中心でした。
だからこそ、3つの演目のうち「義太夫の為に初めて書いた」出世景清を扱った<出世之章>が必須演目で、他の二つが選べるのだなと、見終わった後、納得しました。
義太夫と近松門左衛門のやりとりは、近松門左衛門のほうが口が悪く、ちょっと乱暴な物言いに対して、対する義太夫はそんな彼をなだめながらも、近松門左衛門の痛いところを穏やかな言葉で確実についてきます。
その関係性は、一見、近松が主導権を握っているように見えて、実際は義太夫が近松のどうにも発散できない才能を上手く発散させるよう主導権を握っているように見えました。義太夫は、近松の「モヤモヤ」を上手く見抜いていて、その「モヤモヤ」を解消することで、傑作が生まれていく過程がものの見事に描かれていました。
「出世之章」で、近松が「龍になる」というキーワードで語る箇所がありますが、まさに、近松と義太夫の二人のやりとりが龍になって、客席全体を飲み込んでいく感じです。義太夫が「言霊」という言葉を使いますが、昨今、何かにつけて「言霊大事」という人が多いのですが、そういう人に限って陰湿なやり方で言葉を使って攻撃してくるので、私は「言霊という言葉を使う人間は信用しない」ことにしているのですが、この義太夫の言う言霊は、誰かを支配するときに使うための「言霊」という言葉ではなく、近松の言葉を大事にしてるからこその「言霊」という言葉で、それもまた響きました。
その二人の言霊を纏った龍が客席全体を飲み込んでいき、「出世之章」「名残之章」の言わば劇中劇の演目が、その内容で今度は龍の内側から外側に圧をかけていく感じ。中には笑いを誘うシーンもありますが、それはちょっとした休憩。もう、他の何かが入ってこれないほどの圧の中で、2時間50分、出世之章と名残之章を分ける休憩がないことに気づく暇もないほど、「がしっ」と捕まれたまま進みました。
「出世之章」は、これが人形浄瑠璃であることを意識づけるためでしょう、黒子が出てきて主演の二人を人形として動かすシーンから始まりました。
この景清役の人が、本当に浄瑠璃の人形のようで、「ああ、こういう顔の人形なのだろうな」と想像できる感じでした。
この「出世之章」で、大きく扱いが変わったのが阿古屋という女性でしたが、この阿古屋を演じたのが大月さんでした。
大月さんは、宝塚出身で、スカイステージではおなじみでした。雪組時代の凰稀かなめさんの相手役もやられていましたしね。
ものすごくファンというわけではないけど、退団されたと知ったときは「残念だな」と思ったのを覚えています。
その大月さんですが彼女の迫力もすごいものでした。母としての愛、妻としての愛故の結論に、同じ母として圧倒されてしまい、胸が痛くなりました。
それと同時に、景清の男性ならではの、男らしさという言い訳に胡座を書いた横暴っぷりが目立ち、最後のシーンの景清には「ざまあみろ」と思うほどで、「これ、景清、全然ヒーローにならないけど良いのかな」とちょっと心配にもなりました。いや、あの時代なら「それでも仇討ちに向かおうとした」という意味でヒーローのままでいられたのかも知れないですが。
そして、時が過ぎての「名残之章」。歌舞伎で売れてる近松と、ボロボロの義太夫の竹本座。心中事件を如何に浄瑠璃で演じさせるのか、何が大事なのかという話を軸に話が進みました。
こちらは「出世之章」と異なり、人形的な動きはなく始まりました。「人形は、お前の言葉をそのまま語る」という義太夫の言葉があり、それが浄瑠璃の内容であることは改めて認識させられますが、心中ものであることからか、人形と意識させられるシーンはほぼありませんでした。
徳兵衛の戸谷さんとお初の牛水さんの身長差はかなりのもので、牛水さんがどちらかというと童顔であることもあって、最初は大人と子供に見えてしまいそうな気がしました。正直、これほど童顔なのに遊女に見えるのかなという心配もありまいsた。
しかし、後半になると、その身長差が逆に、お初の若さ(19歳)とそれに見合わないほどの達観した強さ、徳兵衛の不器用な誠実さと弱さを却って強調して、より心中の悲劇性を増した気がします。演出上の賛否はあるかもしれませんが、私が印象に残ったのは、徳兵衛がお金をだまし取られ、しかも印章を偽造したとはめられたとわかってお初に会いに来る箇所。縁側の下に隠れながら、お初の細い足にすがりつくシーン、これは、戸谷さんの演技の素晴らしさが印象的でした。情けなくも6歳も年下のお初の足にすがるのは、ともすればただのヘタレだし、どこか変態的な感じに見えてしまうものですが、戸谷さんはそこを上手く、「情けなくすがる部分」と「足ですら愛おしいという感情」の両方を、ほどよい色気を持って演じられていました。これは、おそらく、後ろの席では見えないのではないかという点で、演出上、どうなのだろうと思う部分ではありますが、お初の強さ(足に徳兵衛がすがっている状態で、徳兵衛を瞞しに来た男や他の遊女を相手に啖呵を切る)と、どれだけ徳兵衛がお初を愛していたかが強く表現されていました。
心中のシーンもそうです。「出世之章」では阿古屋が子供を手にかけ心中し、こちらでは徳兵衛がお初に手をかけて心中しますが、阿古屋が躊躇いながらもどこか勢いが良かった(景清に見せつけた部分もあるとは思いますが)のに対して、徳兵衛は二人を帯で結んだり、何度も手にかけようとして無理だと泣いたりと、子供と心中した阿古屋よりもずっと狼狽え、躊躇し、お初に説得されるような形でお初に手をかけ、寧ろ自分に手をかけるほうに思い切りが良いのが印象的でした。阿古屋の心中は景清に対して「裏切ったのはあなただ、私は一度間違えただけなのに、そもそもあなたが裏切ったからこその過ちなのに、子供すら否定するのは許さない。目に物見せてくれる」という強烈なメッセージを残したのに対して、お初と徳兵衛は「この世ではもう一緒にいられない。世間で罪人にされて生きてもいけない。もうあの世で一緒になるしかない」という状況に対して、お初は「この人とあの世で一緒に」と覚悟が、徳兵衛は「愛してる人を手にかけること」の辛さが伝わってくるものでした。
それもあって、心中のあと、義太夫が二人の筋は通るのかという質問を近松に投げ、近松がそれに答えるシーンは、義太夫に感情移入しながら「よかった」と心から想いました。
初日だったので、舞台挨拶があるのあかと若干期待したのですが、特にそれはなく、ただ、無言で役者が出てきて挨拶をして終了しました。
「名残之章」の「名残」は勿論、「出世之章」から休憩無しで続く芝居全体の「名残」が強く、終わった瞬間から言葉が出ませんでした。
客席を飲み込んでいた「龍」に飲まれたまま、兎に角、一度休まないといけないというある種の危機感というか焦燥感を感じ、兎に角、喫茶店を急いで探して休んでから帰りました。
パンフレットを見ると、各章の主人公が先に出ていて、近松と義太夫の俳優さんは後ろのほうに載っていますが、この舞台の主役は、やはり近松と義太夫だと思います。
この二人のやりとりのすごみがあるから、各章の主人公が活きてくる。勿論、各章の主人公にも力がなければ、この舞台はつまらないものになってしまいますが、この二人と各章の主人公だからこそ生み出せた「圧の高い」舞台だったのだと思います。

Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。
二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。
現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。


