舞台感想

稲垣吾郎主演『No.9』東京千秋楽感想

12月2日。赤坂ACTシアターで行われた、稲垣吾郎主演『No.9』東京千秋楽を見てきました。ベートーベンといえば、私にとっては子どもの頃習っていたピアノの目標だった曲「エリーゼのために」の作曲者であり、音楽室の肖像画の主であり、耳が聞こえなくなっても作曲をしたすごい人というイメージの人でもあり、いつか縁の地を訪ねてみたいと思う程度には、憧れがある作曲家です。その彼を大好きな俳優・稲垣吾郎が演じるのですから、見ないわけに行かないと思っていた矢先、ありがたいことに、チケットをお譲りいただけて、見ることができました。稲垣吾郎は「20歳の約束」から好きでしたが、これまで生の舞台を見たことはなく、初めての彼の舞台がベートーベンということで、ものすごく楽しみにしていました。

紅葉と稲垣吾郎ベートーベンの垂れ幕

舞台開始前に合流させていただいた方から、生のピアノ演奏があるとは聞いていましたが、実際に舞台をみると、ピアノが数台おいてあるセットで胸が高鳴りました。ここでどんな風に舞台が始まるんだろうというわくわく感。普段いく宝塚では、舞台の幕が下りているのが常ですから、他の舞台でもたまにありますが、舞台の幕があがっていてセットが見えるというのは、今これから何が起きるのかというのに想像をめぐらせて、胸が高鳴ります。今回は特に、「セットとしてのピアノ」だから尚更。実際、このピアノは、舞台の中で様々な役割を果たしていて、時には心配になるほどでした。

いよいよ舞台が始まると、そこにいたのは、ハーレクィンの実写化にもそのままの姿で出てこられそうな稲垣吾郎演じるベートーベンでした。天才で傲慢で音楽のことしか考えてなさそうな男。それが彼が演じるベートーベンの第一印象でした。驚いたのは『相手役』マリアが、思っていたほど恋愛がなかったことでしょうか。「恋愛対象」はあくまでも、マリア以外の女性という感じがしました。恋人にはなれるけど結婚はできない女性(ヨゼフィーネ)、同士にはなれるけど恋人にはなれない女性(ナネッテ)、マリアは「献身とはこういうこと」というのを体現しているような女性で、マリアは確かにベートーベンを愛しているのが伝わってくるのですが、ベートーベンは信頼はしていても、恋愛感情はないように見えました。

思うに、このベートーベンは、「母」に「父」から助けてほしかったのではないでしょうか。彼が後半、自分を取り戻すのはマリアの献身によるものですが、そこに至るまでの間、何が悲しいって、誰も彼に「甘えさせてあげない」のです。辛くて暴れる彼を気遣う弟たち、将来を語る仲間、ピアノを作る同士。愛しているといって甘えてくる恋人はいても、「彼が」甘えられる人がいないというのが、切ないです。せめて、弟たちから兄に対するリスペクトを感じられたら良かったのですが、残念ながら、今回の舞台では、私は弟たちが兄を尊敬しているようには見えませんでした。畏怖しているようには見えましたが。だから、後半、「兄を思いながらも離れざるを得ない」というようには見えず、「好きな人が出来たし、もういいや」としか見えないのが残念でした。ベートーベンが、誰かを愛する時に辛い顔をするというのは、愛するものを父のように傷つけたらどうしようという不安もあったでしょうけれど、父のようにならないためにも必要以上に相手を守りたくて、でも、上手くいかなくてというところにあるように感じました。特にピアノは自分にとっては答えてくれる相手だけれど、人間関係は難しいというところに共感しました。私はピアノにではにけれど、プログラムはルール通りかけば動くけど、人間関係はそうはいかないしね…と思ったことは何度もあるので。

後半にかけて、ベートーベンが難聴故にゆるやかに狂っていく、そして孤独になっていくのは、見ていてとても辛いものでした。稲垣吾郎は、記者会見で「ヒステリックゴロチ」とジョークを言っていましたが、ただのヒステリックでは、ベートーベンの孤独感や愛してる者が離れていくのをどうにもできないやるせなさ、過去の亡霊に囚われていることの不安感は出せません。楽譜をひっくり返し暴れるベートーベンから、それがダイレクトに伝わってくるのは、彼の演技力の賜だと思いました。最初のうちの天才肌で傲慢な男から、徐々に壊れていく彼が、それはもうヒシヒシと伝わってくるといいますか。「弟たちよ、兄の弱さを解ってやれよ」と何度思ったことか。特に彼の演技が光ったのは、甥の成長に気づくまでのシーンですね。ベートーベンは腰が曲がり、白髪が増え、場面毎に老いていく。なのに甥はそのまま。成長した甥に気づいた瞬間、いっきに若返るというのは、「自分が年を取っていたことに気づいていっきに老ける」といういくつかの物語(例:浦島太郎)や現実とは真逆で、長い長い死地へのトンネルから戻ってきたかのようでした。

あっという間の3時間の舞台でした。そして、改めて稲垣吾郎の俳優としての魅力を実感できましたし、ベートーベンのCDを買いたい衝動に駆られる舞台でした。横浜で当日券がでたらまた見に行くかもしれません。

Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。 二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。 現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。

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