日常/心

カッコイイということ

二週間ほど前でしょうか、毎週日曜日朝のお楽しみ「題名のない音楽会」の司会だった佐渡さんが、司会を降りられる回をみました。
ほぼ毎週、なんとなく見てたんですが、佐渡さんとしての最終回だったので、いつもの「~しながら」ではなく、じっくり見ていました。そこで、会場の人たちが自分が昔使っていた楽器などを持ち込んで、オーケストラと一緒に演奏をするというシーンがあったのですが、その時の佐渡さんの表情がとっても嬉しそうで。
その瞬間、「あ、この人カッコイイ」と。

そこで思ったのですが、たとえばスポーツ選手とかって、戦ってる間の姿ってとってもカッコイイですよね。
長年、あれは一生懸命だからカッコイイのだと思っていたけれど、確かに、凜々しくやるのもカッコイイけど、笑顔で自分の仕事をやるのってものすごくカッコイイのだということ。
つまるところ、「凄く好き」でそれに真摯にそれをやっていること。やっていることが大好きで、それが滲み出ていて、嬉しそうで(本当は凄く努力はあったとしても)その嬉しそうな感じが一種の余裕というか、オーラというか、そういうものとして身に纏っていること。それが「カッコイイ」ということなんだなと。

常々、a-haのモートンカッコイイと連呼してるのですが、最近、モートンの格好良さは尋常じゃなく、若い頃のルックス的な格好良さや、自分の理想に手を伸ばしていて届かないことにもどかしくなってそうな感じも好きだったけど、今はルックス的な格好良さは勿論、地に足がついた格好良さにクラクラしてたんです。
この格好良さこそ、最初の佐渡さんと同じ種類の、自分の好きなことを真摯にやってきてそこに喜びを感じている、余裕が滲み出る格好良さだったんですね。

そして、少し前から自分はどうなりたいかの一つの答えとして「(無意識で)カッコイイ人になりたいという認識で行動してたんだな」と気づいていたんですが、じゃあカッコイイ自分って何よ?というか、カッコイイの定義は何?となると、非常に漠然としていたんです。
その答えがわかりました。

カッコイイっていうのは、がむしゃらな姿を見せないことでもあえて見せることでもなく、強がって弱さを見せないことでもなく、自分の仕事や好きなことを楽しんでやれること。
そして、これは今朝、起きた瞬間に頭に浮かんだのですが「自分を裏切らないこと」。
たとえば、ダイエットしてる最中に、甘い物が欲しくなるのはよくあることだけど、それを少しではなくどか食いしてしまったら、それはそれまでの自分を裏切ること。自分で自分を裏切って落ち込むほど格好悪いことはないよねと。

自分を裏切らないで毎日を送っていたら、自然とカッコイイ自分になれるのではないか、そう思います。

Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。 二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。 現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。

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