舞台感想

「銀河鉄道999 GALAXY OPERA」東京・明治座・千秋楽 感想

「銀河鉄道999 GALAXY OPERA」東京千秋楽 明治座 6月30日12:00

「銀河鉄道999」という子供のころ夢中になったアニメの舞台化に、エメラルダス役で凰稀かななめさんが出るということで、急遽、ファンクラブ経由で取れたチケットで明治座での千秋楽へ行ってきました。
クイーンエメラルダスで凰稀さんというのが、もうぴったりすぎてぜひ行きたいとは思っていたのですが、チケット取りそびれていたのでラッキーでした。

さて。感想ですが、以下、ネタバレと批判を含みますので、ネタバレ・批判苦手な人はここまででお願いします。

まず、ストーリーですが、若干消化不良でした。これは、多分、「どこまで舞台化するか」の問題だと思うのですが、いわゆる「俺たちの戦いはこれからだ!」で終わったという印象。え、そこで終わり?と。
999は、少年の冒険譚であり、かつ少年の心の成長を描いた作品だとは思いますが、同時に核である「メーテルの謎」も大事な要素で、そこが解き明かされなかったのは本当に残念です。冥王星も、機械の体ということについての疑問を鉄郎に投げかけるシーンではありますが、台詞だけ見ていると「周りの心ない男性の態度に翻弄され、整形を繰り返した女性の末路」に聞こえてしまうのが残念でした。そんな話だっけ?とWiki等で読んだところ、「顔だけは決められなかった」ようなので、ここは脚本(もしくは演出)のせいですね。永遠の命と永遠の美は違うし、アンチエイジングとか美魔女という言葉に踊らされがちな日本だと、まあ、同一視せざるを得ない実情があるのも確かなんですが、ここは繰り返しの整形で美を求めたというより、原作の顔だけ決められなかったという設定のほうが何千倍も何万倍も良いと思います

本当に疑問なのですが、トチローの母と鉄郎の母とメーテルの母(声のみ)を同じ人が演じるというのは、全体のストーリーを考えるとすごく良いと思うのです。
でも、だからこそ、なぜ、メーテルの母も同じ人が演じたのにメーテルの母との対決を描かなかったのか。
子供時代見たときは、鉄郎が母に似たメーテルについていくという設定に「なんで?」と思い理解できなかったのですが、大人になってみると、そしてこの舞台のテーマにも思いっきり「母離れ」というのが出ている気がして、すごくわかる気がするのです。

心の中の母の存在というのが一つのテーマである以上、母から自立したトチロー、母を求めている鉄郎、母に支配されているメーテル。
上記の理由から、この母を同じ人が演じているのはすごく自然です。でもだからこそ、「母に支配されているメーテル」と母の対決がないのか、鉄郎少年もまた、そこで母代わりのメーテルから自立するためにも、その最後は重要だったと思うんですよね。

キャストとしては、中川晃教さんが上手すぎて、少年になりきっているのに対して、ハルカさんが若干若すぎるためにメーテルと鉄郎が同い年に見えてしまうのが難点でした。それだと、クレアの存在を見守る位置のメーテルとメーテルに気遣うクレアの関係が、「クレアが横恋慕していて、メーテルが現れる度に逃げてる」ように見えてしまうのです。メーテルはエメラルダスと同い年なのですから、もう少し年上の女性でもよかったのではないかと思いました。
BSでやったドラマでは、栗山千明さんがメーテルでしたが、それくらいの年齢のかたのほうが合う気がします
声質も、若干高すぎるイメージだったので。ただ、歌はかなり上手かったので、これは演出の問題でしょうね…。もう少し大人びて見せる演出があればと思います。

二次元から出てきた感が半端なかったのが機械伯爵と車掌さんとエメラルダス。
車掌さん(お宮の松さん)はたけし軍団の人だそうですが、本当にまんま車掌さんでびっくりしました。
あと、エメラルダスは…わかってたけど、機械伯爵もすごかった。カーテンコールで並んだときの二人の耽美二次元っぷり(笑)
染谷さんはパンフの写真より、舞台のが100倍綺麗です。
メーテル役ですか?と聞かれたらしいですが、わかります。パンフだけだと「え」ってなりますが、見たら解ります(繰り返し)

凰稀さんは本領発揮してましたね。お披露目のラインハルト、それから100周年のオスカル、退団時のグスタフ。軍服と剣裁きはお手の物です。
ヅカの男役としては、声が若干高いので、歌いずらそうなときが現役時代はありましたが、エメラルダスはオスカル同様女性なのでぴったりでしたし、何より、彼女の剣裁きのうまさ。
わかるひとはわかると思うのですが、喉元に剣を突き立てる時の冷たい表情の凰稀さんが見られたことが最高でした。あの表情好きなんです。
マント翻し技も相変わらず上手かったですが、それ以上に剣裁き。これは、本当にカッコイイので、ヅカに剣裁き教えに行っても良いと思うくらい。

入野さんは、トチロー役じゃないほうの役がなんなのかイマイチわかりにくかったですが、やはりさすがのうまさでした。
多分、トチローじゃないほうの役がわかりにくいのは演出が原因だと思われます。まあ、精神的な部分で、トチローは鉄郎の道標であり、父(という概念)であるということなんでしょうけれど、理解が追いつくまでちょっと時間がかかりました。

もしかすると、私と児玉さん(演出)の相性が良くないのかもと、Wikiをみてちょっと思いました。っていうか、多分、演出なんですけど、冗長なシーンが多くないですかね。オープニングのスタッフを誤魔化すシーンも若干長すぎる感じだし、メーテルと鉄郎が旅に出るまでが本当に長く感じました。
あれをもう少しコンパクトに出来れば、なんなら機械化の星まで行けたと思うんですよ。
ベルばらで有名な植田先生とかだったら、機械化伯爵との対決を中締めに持ってきて、機会化の星での対決を第二部のメインに添えて、少なくともストーリー的には「最後を省く」ことなく出来たんじゃないかと思うわけです。私は植田紳爾先生割と好きなので(谷先生と組まなければの条件つき)。

ストーリーは良いんですよ、役者も良いんです。みんな歌上手いし、演技も最高なんです。
子供時代、理解できなかった(拾い上げられなかった)ことが、今回の舞台を通して、改めてわかったり(自立の話だということなど)、命の重さ・永遠の命とは本当に良いものなのかどうか、人間関係とは…と、そういったことを改めて考えさせられる素晴らしい舞台だと、明言できます。
ただ、やはり冒頭からの繰り返しになってしまいますが、最後までストーリーを貫通できないのが、無駄な(冗長な)演出の多さ故に見えてしまうところがいただけないです。

ルパン三世を楽しく舞台化した植田景子先生とか演出どうでしょうかね。

Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。 二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。 現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。

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