ノルウェー語

a-ha The Movieからノルウェー語を学ぶ/hvem som

今日のノルウェー語レッスンは、週末何をしてたかという話からの、a-ha The Movie予告編のわかりにくい箇所についての話からスタートしました。

モートンとマグスに喧嘩言葉(ノルウェー語)を学ぶ?

まずは、今回のレッスン内容となった、わかりにくところから始まる予告編。

「Jeg kan ikke drive og gnåle.
Ikke si det er fint.」

(愚痴を言い続けても仕方ないだろ。イイネなんて言うなよ)

Morten Harket “a-ha The Movie Trailer” 予告編

ここ、最初「Vi」(私たち)になってたのが「Jeg」に直ってるんですが、ノル語の先生には「Vi」にきこえるそうです。それはともかく、気になったのは、”ikke drive og gnåle”です。ogは英語でいうところの「and」。等位接続詞です。英語でいうところの「Neither A nor B」(AでもBでもない)の場合、ノルウェー語では「verken A eller B」となります。だとすると、このikkeはdriveだけの否定になるのか?少なくとも「driveもgnåleもしない」ではないことは確かです。となると、この等位接続詞「og」の立場は?

そこで思いだしたのが、ノルウェー語の独特な言い回し。a-haの初期の曲タイトルにもその影響がでている「Here I stand and face the rain」という曲があります。ノルウェー語と日本語のよく似ているところですが、「座ってテレビをみている」(Jeg sitter og ser på TV)とかた「立ったまま新聞読む」(Jeg står og leser avisen)みたいな言い方をするのです。つまり、ある状態を継続したまま別のこともするという。でも、そうなると難しいのは「drive」という単語。ノルウェー語でのこの単語、意味は「~をする」なのです。「しないのを継続しながら愚痴る?」意味がわかりません。

driveといえば、たとえば「Jeg driver med leksene(宿題やってる)」みたいに使えるわけですが、ここで面白いことを聞きました。driver med~だと、継続してるかどうかはともかく、「今」宿題をやっているというニュアンスだそうです。それに対して、drive ogというのはずっと何かを継続しているという(習慣的な)感じがあるそうで、これで一組の助動詞のように捉えればいいそうです。つまり、ikkeがない状態だと「ずっと愚痴を言っている、文句を言い続けている」ということになるそうで。(gnåle :文句を言う、愚痴を言う、ガミガミ言う)。このレッスンの前にBergen大学の学生さんに聞いたところ「愚痴を言っても仕方ない」という意味と教わったのですが、成り立ちがわからなかったんですよね。元々は「Vi kan ikke」だったので、「私たちは愚痴を言い続ける状況にない」=「愚痴を言っても仕方ないだろ」になるようです。今はJeg になってますが、冒頭にも書いたようにノルウェー語の先生には「Vi」と聞こえるようです。(英語にあわせて逆輸入的に直したのかしら?)

(追記)gnåleを訳す時に、ノルウェー語の先生からは「文脈によるけど」と言われてたんですが、もともとの意味には「同じ事を繰り返し話し続ける」という意味があるのようです。映画では、愚痴ではなくて、あるフレーズの一本調子の繰り返しについてこの単語をつかっていたようです(追記終わり)

drive ogが習慣的な事に使えるなら、「Jeg driver og tenker på Morten Harket」(私はいつもモートン・ハルケットのことばかり考えてる)もありかな?今度聞いてみよう。

そして、もう一つはこちら。

「Til Slutt står man og har bare lyst til
å kline hverandre ned」

ついには、互いに相手をただ殴り倒したくなる

— Magne Furuholmen “a-ha The Film”予告編

言われて気づきましたが、ここもstår ogがあるので、ずっと立ったまま話をしていて我慢の限界来てぶん殴るみたいなイメージですね。ここで何が問題だったかというと「kline」です。イメージ的に、この感じは「殴ってやりたくなる」とかかなあとは思ったんですが、klineという単語を調べたらなんか違う。「(バターなどを)塗る、押す、抱きしめる、愛撫する、キスをする」。画像検索もそういうシーンばかり(混乱)。押す+ned(下)=押し倒す???(超混乱)となったのでした。

Bergen大学の学生さんに聞いたところでは、kline til で殴るという意味があり、kline nedはその口語的な感じとのこと。今日のレッスンで先生にも聞きましたが、元々は何かに液体的なものをくっつけるというような意味があり、転じて「くっつく」から抱きしめるとか激しいキスをするとか、そういう風に使われるようになったので、ここでは拳と顔がくっつくからだろうと。なるほど。正直、画像検索したときは何事かと思いました。もしかして壁ドンとか、床ドンのこと?と思ったくらい。

あ、ポールのノルウェー語の喧嘩節がないですけど、それはポールが全部英語だったからです。ノルウェー語字幕は勿論ありましたけども。

Hvem som…

さて、a-ha関連を終えてのワークブックでは、語順のところはほぼ正解で褒めて貰えました。前にも褒めて貰ってますが。よくよく考えたら、この語順(特に副詞)については何ヶ月もこの場合はこうって文法書見ながら勉強したので、頭に入ってくれたのだと思います。

その語順のところに出てきた例文で、以前に習ったのに忘れてたのがあったので、再度確認。

Jeg lurer på hvem som skal overta jobben hans.

誰が彼の仕事の跡を継ぐのだろうか

Her På Berget Arbeidsbok P32 2.Dagligliv Oppsummering 4.Lag setninger (2016)

ここで、もし自分が作文するとしたら、Jeg lurer på hvem skal overta jobben hans. という感じに、somを忘れそうな気がするので確認。なんで、somを入れるのか。

答えは少し前の文法のページにありました。「疑問詞が導く従属節(間接疑問文)に他の主語がない場合はsomを入れる」。つまり「誰がここにくるか知らない」の場合は「Jeg vet ikke hvem som kommer hit」というようにsomを入れないといけないけど、「彼が誰と一緒にくるのか知らない」だと主語の「彼(han)」があるので、「Jeg vet ikke hvem han kommer med」という感じで、hvemのみでOK.もっと簡単な「彼が誰か知っている?」も、主語である「彼」が文中にあるので、「Vet du hvem han er?」でOK.

これは、間接疑問文に主語がない場合は…ということですから、Hvem意外の疑問詞でも主語がない場合は須くsomを入れるようです。「私はどの答えが正しいかわかりません」も、「Jeg vet ikke hvilket svar som er rikitg」(引用:Her På Berget Arbeidsbok P25 2.Dagligliv 13. (2016))となるそうです。Jeg vet ikkeが入らないただの疑問文であれば「Hvilket svar er riktig?」なので、ついうっかり忘れそうですがここでの「答え(svar)」は「目的格」であって主語ではないし、そうなると主語はないので、somが必要だということですね。

途中、英語の関係代名詞や間接疑問文に置き換えて考えようとしましたが、余計混乱したのでやめました(笑)。

Ettersom

そうえいば、今回初めて聞いた「Ettersom」という単語。「Fordi」とか「Siden」(なぜならば)という意味があるようで、口語では使わない固い表現だとか。置き換えろと言われたらFordiとかで置き換えれば良さそうなので覚えておきます。

Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。 二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。 現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。

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