宝塚

4/10 1789 プレビュー公演感想 -1(ネタバレありかも)

1789プレビュー公演2日目、

ロナン 加藤和樹
オランプ 夢咲ねね
アントワネット 凰稀かなめ

を観てきました。すごく良かったです。

今まで好きだったジェンヌさんの「舞台女優としての一歩」といえば、日向薫さんは「グッバイ・チャーリー」で男性が生まれ変わって女性になるという設定。
貴城けいさんの「愛、時を越えて 関ヶ原異聞」は出雲阿国とドラキュラ。
どちらも、男役要素を残しつつ、女性部分も見せるものでした。

マリー・アントワネットは、当たり前ですが、女性ですよね。
だからとてもドキドキしたのですが、かなめさんのアントワネットの登場シーンは、「かなめさん、女性の声、綺麗にでてる。しかもハイトーン」ってことで、かなり感動しました。
私、男性でも女性でも声がちょっと高めの人が好きで、それでいて、さらに高音が綺麗に歌えると惚れてしまうので。
惚れ直しました。かなめさんに。

かなめさんのアントワネットは、台詞や歌のない箇所でも、表情や仕草から考えてることが伝わってくるようでしたし、フェルゼンとの恋愛を断ち切るシーンでは、「恋より役目、寧ろ、愛を取ったのだ」と感じさせました。

うまく言えないのですが、退屈で自分が愛されていないように感じていたアントワネットは、子どもを亡くしたことで、自分が他の誰より、子どもに愛されていたことを感じたのではないかなぁと。
もちろん、それまでも子どものことは愛していただろうけれど、でも、相手にしてくれない夫への寂しさとかで、フェルゼンに逃げてしまっていた、と。
それに気づいたのではないかと、そう感じました。
もしかしたら、子どもをなくして初めて、飢えで死んでいくこどもとか、飢えで子どもをなくした民衆の気持ちみたいなものに思いを馳せたのかもしれない。
目が覚めたというのは、この時点で、彼女の愛がフェルゼンに対する恋愛だけでなく、フランスに対してに変わったのではないかという気がしました。
フェルゼンは大事だけれど、自分の役目はフランスに愛を伝えることというように。

だから、(史実ではヴァレンヌ逃亡とかあるけど)オーストリアに帰るかという質問にも、帰らないと返事をしたような気がします。
そういえば、このシーンで、平成ベルばらの「フェルゼンとマリーアントワネット編」であった、フェルゼンがマリア・テレジアから王位を継いだマリーの兄に助けを求めに行くシーンを思い出しました。
「自分の蒔いた種だ、自分でどうにかしろ」と言われてしまうシーンは切なかったな…と。ここのフェルゼンが助けに来るシーンは、それを思い出させ、フェルゼンのどこか、甘いところを再認識しました。

話を戻しますと、このシーンで歌う歌。最初の登場シーンでは「つまらなくて、何か大きいものをかけてでも刺激が欲しい」という賭けで、表情もコケティッシュでかわいくて、でも、子供っぽいのに対して、ここのシーンではもう顔が違いましたね。完全に、「女王としての自分」であって、その対比もとても素晴らしかったです。

というわけで、1200文字を超えたので、明日に続く…。

Morten Harket.jp (http://www.morten-harket.jp/)の中の人。 二児の母で、フルタイム勤務しつつ、ノルウェー語の勉強をしています。 現在、NORLAからサポートを受け、ノルウェー語の詩の翻訳を実施中。

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